映画 ミリキタニの猫

ミリキタニの猫という映画を観てきました。

三力谷さんの描いた猫の絵はとても魅力的ですが、

この映画は猫映画ではなく、ニューヨークの路上で絵をかきながら生活をしていた

ジミー・ツトム・ミリキタニさんのドキュメント映画です。

第二次世界大戦が始めり、日系アメリカ人たちは、今まで築いてきた財産は没収。過酷な環境の収容所に送られます。

おそらく、ミリキタニさんは自分ではどうにもならない運命の波に、芸術家としての矜持を持って立ち向かったのだと想像します。

そうでもしないと、自己を見失いそうな気がします。

そして、日系人に対するアメリカ政府と日本に原爆を落としたアメリカ政府に怒りを感じるのだと思います。

あまり多くを書きませんが、印象的なのはアメリカの市民権が復権されたのを知ったミリキタニさんの表情の変化と「今では怒っていない。すべて過ぎ去っていくだけ」(←よく覚えていないので大意)という言葉が印象的で、攻撃的な程怒っていたのが、なぜ、許せたのかと考えると、やはり、身近にいる、彼を受け入れた人たち(特にこの映画の監督)と結局、復権されていた市民権のおかげ。

市民権は、権利というより、アメリカ国民としての復権。

すべてに、「あなたがいる場所はここですよ」と迎えられた気がしたのでは?と思うのは私が能天気だからでしょうか。(そうかもねー)

私の中のミリキタニさんはなにより、「ここ(アメリカ)で、自分の絵を描きたかった」のだと思っています。

そのためには「ここにいても良い」と言ってもらわなければならなかったのだと推察します。

市民権がなきゃ、アメリカ国民ではないですもんね。

「ここにいてもいいんだよ」と言いながら、子猫を飼い始めたんじゃないかな?なんてことも思いました。